2012年 03月 11日
今日で東日本大震災から1年が経ちました。 これまで、隣の県でありながらあまりに悲惨で悲しすぎる出来事なので、なかなか訪れる気持になれませんでした。 今日で自分の心の中を整理しようと陸前高田市の慰霊祭に参列してきました。 この一年、自分は大災害で家族や友人、職場や財産を失った人々に何が出来たのだろう。 なにも出来ていないことを痛感させられる光景が1年たった今でもそこあった。 いくらかの義捐金や衣類を送ったり、テレビで悲惨な光景を見て心の中で祈ることしか出来なかった自分が恥ずかしい。 痛々しい写真がありますが、自分の記憶としてブログに残すことをお許しください。 ご覧の穏やかな海のかなたから、高さ10mを越える巨大な津波が陸前高田を襲った。 時折、風に吹かれて「カラン、カラン」と鳴るトタンの音が物悲しかった。 三陸はリアス式海岸の風光明媚なところですが、その複雑な地形ゆえ被害の明暗を分けた。 入り江の多い岩手県三陸、わずか数10mの違いでまったく被害のないところがあったり、更地になっているところなど、景色がまるでちがいます。 今は、きれいに整地されていますが、港の空き地にはうず高く積まれたがれきの山がその凄まじさを未だに物語っていた。 ランドセルや車が建物の中に入り込んでいた。 陸前高田の町の中をしばらく歩いていると、かつて自分の家があったところに、花や飲み物が供えられ時折線香の匂いがし、心が絞めつけられました。 1年経ってがれきは撤去されていますが、町の復興や心の痛手が癒えるまで、まだまだ時間がかかることと思う。 3月11日午後2時46分サイレンとともに1分間の黙とうを捧げて来ました。 慰霊祭の会場で遺族代表の方の言葉を聞いた。「この1周年の慰霊祭で区切りを付け、亡くなった人を忘れるのではなく、それを受け入れ亡くなった人の分まで前向きに生きて行こう。」とい言っていたことが心に残りました。 これから、特別何が出来るわけではありませんが、まだまだ恵まれている自分を見つめ直して生きて行こうと思いました。 会場を後にする時、地元の方だろうか、「こんな立派な慰霊会場を造るくらいなら早く町を復興しくれ」とか、「政治家が与党、野党足の引っ張り合いより、いち早く復興のスピードを上げてほしい」とテレビのインタビューに答えてる人の声が今も耳に残っています。 亡くなられた多くの方々へ心より哀悼の意を表し ご冥福をお祈りいたします。 合掌
by kintarou776
| 2012-03-11 21:01
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